私が傾聴を広めようと思うきっかけ、それは息子でした。
心室中核欠損症という心臓の壁に穴の開いてる状態で
生まれた我が子は、産まれるとすぐに国立小児病院に入院し
病院の入退院を繰り返していました。
4ヶ月で肺動脈を縛る「バンディング」という手術をし、
10ヶ月で心臓内の壁の穴をゴアテックスで埋める根治手術をしました。
経過を見ながら、7歳でカテーテル手術も行いました。
長男は、本当に優しくて、大人しくて、
いつもニコニコ笑顔の子でしたが
自己主張をはっきりせず、自分の世界が大好きな子でした。
なんでもゆっくりで音楽が大好きで、おもちゃのピアノで
CMソングを勝手に弾いてしまうような子・・
息子は、小学校に入学するのをとてもとても楽しみにしてて
「お友達100人できるかなぁ~」と入学が近づくと
毎日のように話をしていたのを思い出します。
そんな息子が 入学して2ヶ月もたたない頃
朝玄関先でお腹が痛くなったり
吐いたりを繰り返すようになりました。
子どもの為と言いながら私は、
母親である自分への評価を気にしていたんだと思います。
「どうしても学校へ行かせなきゃ!この子の将来はどうなるの!」
自分が不安で無理矢理毎日学校まで
息子を引きずるように連れて行きました。
ただでさえ心臓病で生まれ、
身体的にも周りの子に遅れを取っている息子を
これ以上苦しめたくない!!
勝手にそう思っていた私は、
自分の役目は、どんな事をしても彼を学校に
登校させる事だと信じていました。
そんな中、ある時国立小児病院で
息子を担当してくださっていた先生に
不登校気味である事の相談を持ちかけると
「お母さん、息子さんを愛していますか?
その大事な息子さんが体調を壊してまで嫌がる
【針のむしろ】の様な場所にあなたは座らせて安心ですか?」
私は、頭をハンマーで叩かれたような
衝撃を受けました。
目からウロコが落ちるとは、まさにこういう事です。
【息子が身体を張ってまでして出した
自己決定を見逃すところでした!!!】
その日のうちに息子に私は
「学校へは、行かなくて良い事にしたよ 」そう伝えると、
息子は目からポロポロ涙を流してね
「ごめんなさい」って泣きながら言いました。
ごめんなさいはね・・・私の方です。
「ホントにごめんね。。」
すると、不思議な事に息子は、
だんだんに学校へ行く日が増えて、
保健室の先生とも仲良くなり、友達も増えて、
楽しそうな毎日を過ごせるようになりました。
だけど、それは彼の気持ちが変わっただけで、
いじめの根の深さに私は、
1mmも気が付いていなかっただけ。。
息子へのいじめは、継続的に続いていました。
・体操着をトイレに捨てられたり、
・教科書に「死ね!バカ!どんくさい大嫌い」と書かれていたり、
・給食のやきそばをそのままランドセルに入れられていたり、
・胸の手術の痕にマジックで線路を書かれ、
・その線路の上におもちゃの電車を走らせて遊ばれたり
その事を知った時には、全身が怒りで震え殺意さえ覚えました。
だけど、彼は笑って言うんです。
「 遊んでただけだから・・ 」
息子は、自分が心臓病を持っていて、
何度も手術をしていたり、
毎月病院へ行っていたり、
親や親族に心配をかけているのを知っていました。
「言えなかったんじゃない。言わなかったんだ。」
後で彼に言われた時は、本当に申し訳ない気持ちで
いっぱいになりました。
仲のいい子も出来て安心していたある日、
洗濯物を干す時に 息子のシャツに
無数の細かい穴が空いているのを見つけました。
帰宅した彼のシャツのをまくって見ると背中には、
無数の点となった小さなカサブタが黒く残っいました。
私、思わず泣きながら「どうしたのよ・・」と聴くと
「 こんなのいつもだよ 」と・・・。
後ろの席の子が シャーペンやコンパスで
彼の背中を突くらしい。
その度、「やめてよ」と言う言い方が優しくて
遊びの延長線上にいじめはあります。
ドッチボールをすれば、一人だけ残され走り回らされる。
鳥小屋の掃除をすれば、外からカギをかけられ閉じ込められる。
トイレに入れば、水をかけられる。
給食になれば、わざとえげつないほど大盛りにされて
お昼休みを奪われる。
いじめの種類も回数もあげたらキリがありません。
だんだんに口数の減る息子、
私はその息子とちゃんと話がしたくて、
カウンセラーの勉強を始めました。
ですが学び始めて一番に言われた事が
「パートナーや近親者にカウンセリングは出来ない。」という事でした。
確かに子どもの悩みの多くは「親」が原因ですから、
その親に何かを話すのは、難しいのかもしれません。
ラポール形成だって 守秘義務にだって限界がある。
だんだんに息子も反抗期に入り、
仲間と共に過ごしながら世間で言う
法律違反行為を始めます。
退行して行く彼を誰も止められなくて、
彼の中の悲しみに誰も付き合ってあげられなくて、
家と仕事と警察と謝罪の日々に私も、
次男も、長女も、疲れ果てていました。
顔を合わせば怒鳴り合う、
そんな毎日が延々に続き、
彼の中にも私たち家族にも出口が見つからずにいました。
悪い事をした翌日は、私にさんざん怒られ、
罪悪感で自殺未遂をはかったり、酷いアルコールの飲み方をしたり、
無断外泊が続いたあげく、最後は警察に迎えに行くと言うパターンが
何年も続きました・・・
・・・何年もです。
「この子は、このまま放置したら人を
殺めてしまうかもしれない」
そんな不安に襲われて何度、
彼を殺して私も死のうと思った事かしれません。
でも、出来なかった、、出来ませんでした。
私、息子を猛烈に愛してた。。
親の顔や次男、長女、沢山の人の悲しむ顔が頭から離れず、
その一歩先に行かずに済んだのは、「傾聴」です
偶然にも心理学を学んだ友人や
仲間の存在が私にはあって、私の不安を
「ただ聴いて貰った」・・お陰だと心から感謝しています。
「事実は殺さずに生きている」それだけの今です。
息子を家族と思うから、
自分の学んだカウンセリングが出来ないのなら、
いっそ息子を家族と思わずに
「傾聴技法を使った聴き方」をして見たらどうだろう。
彼が何かを話したそうに 声を掛けて来た時を狙って、
本気で聴く事にしようと アレコレ考えて
「傾聴」を試みたのに、、最初はたったの5分でお手上げでした。
だけど気が付くと彼との会話は、
その度に少しづつ時間が伸び、
だんだんに笑顔も増えて自己決定で
いろんな事を 自分で決められるようになりました!
食卓を一緒に囲む時間も増えてきました。
私たち家族も空気が緩んで楽になり、
なにより息子本人が嬉しかったと思います。
ふっと気が付くと彼自身、悪事を一緒にしていた仲間とも
だんだんに距離を置くようになり、
彼の口から出る話の内容も
将来に向けての【今】にフォーカスするようになって来た時
家族にだって!傾聴出来るじゃない!!
カウンセリングなんて形じゃない!
大切な人の目の前に ただ存在して「相手の中に答えがある!」
を信じて寄りそう事は出来るんだ!
「聴く」はこんなにもお互いの信頼関係の再構築に効果がある!」
私は、深く確信するようになりました。
● 聴いて欲しそうな様子を察知して、手を止めて向き合って聴く
● 関心を持って肯定的に聴く
● 一緒に悲しんで一緒に喜んで聴く
● 本人が決めた事を尊重して応援する
● 相手の中に答えがある事を信じて待つ
もともと病気を持って生まれた長男、私は
「命の不安」から「心配」で育ててしまいました。
前提が「心配」だったわけです。
もちろん心配しなかったら
育たなかった子だとも思いますが、、
心配って誰に向かってるんだろう。。
そこに気が付けたのも「傾聴」のお陰です。
私の息子への思いも【心配】から【信頼】に変化させる
ことが出来、関係性は抜群によくなりました。
心の奥で繋がる経験をする事で
お互いの多様性を認め合う関係が作れたら
「うつ病やいじめの予防・それによる自殺を減らせる一歩になる」
傾聴には、「うつ病・パニック障害」に
エビデンスがあります。
「愛」がね、病気を治すんです。
お母さんに 「ちょっと聴いてよ~」 が増えて、
お父さんが 「どうした~?」 って言える関係。
「傾聴」は、希薄になりがちな人間関係の質の向上に
きっと何役もかってくれます。
たった一人でも信頼してくれる人が
側にいてくれたら人は生きて行ける!
大切な人の心を守る「傾聴という愛」が広がる事を願っています。
傾聴カウンセラー協会 辰 由加
2017年・娘の成人式
3人で撮った写真は、七五三ぶり
・・・こんな日が来るんだね。
・・・子どもはいつまでも子どもじゃない。
それぞれがいくつもを乗り越えて愛する事を選んだ日。